緒方貞子さんはどんな方でしたか?名言や上皇后美智子様の関係は・・・・
緒方貞子さんが亡くなられ、ニュースで話題にもなってますよね。
そして、上皇后陛下も弔問に訪れ、凄いお方だと認識されます。
そして、いろいろな名言も残されています
そこで、経歴やどんな活動してきたのかを取り上げます
1,緒方貞子さんの経歴は・・・・
1927年9月16日で東京の麻布で生まれました。
そして命名されたのは、あの元首相の犬養毅から名付けられました。
父は、外交官をしており、幼少期には父の仕事で転勤が多く、サンフランシスコや香港など、様々な国を転々としておりました。
そのためか、英語は堪能で、小学校5年生の時に日本に戻り、聖心女学院に入り英文科を専攻しました。
その時、平成天皇の皇室の皇后でもありました『上皇后美智子』と同じ大学だったこともあり、今回弔問に訪れたことになるのです。
その後、父の勧めでジョージタウン大学やカリフォルニア大学パークレー校の大学院という超エリート校で博士号を取得されて、多くの大学の非常勤講師をされました
そして国連機関に入り、日本代表として活動されてました
その後、国連難民高等弁務官を歴任されアフガニスタンなどの難民の支援に携わり、各国からいろいろな賞を授与されました。
晩年期は、国際協力機構(JICA)の理事長を務めあげ、特別顧問になりました
そして2018年には国際協力機構の名誉顧問として日本の名誉会長として世界の代表者として名を轟かせて活動されていました。
そして2019年10月22日92歳でお亡くなりなられました
2,緒方貞子さんの国連での活動とは・・・
・国連難民高等弁務官とは・・・
国際連合難民高等弁務官事務所というところが1950年解説されました。それは、紛争などが世界で起こり、国に帰れない人たちの生活を支援したり、その人たちの教育などを支援する活動をする人たちを言います。
そこでの責任者であり、功績を認められて初めて就任できる仕事です。
・就任してやった活動とは・・・
緒方さんが就任したのは湾岸戦争が起きていた時でした。
そのためアフリカや中東で紛争や内戦が原因で難民が後を絶えませんでした
その時、緒方さん自ら現場に足を運んで、支援の指揮に当たりました。
そして、1990年代に多くのクルド人がトルコに入国を拒否された際も国外に逃れた難民だけではなく、国内で行き場を失った人たちも助けるために世界中に訴え続けられました。
・その後の活動は・・・
緒方さんは、人間は安全の保障を重要すべきだと信念に訴えており、2001年には国連に『人間の安全保障委員会』を立ち上げ緒方さん自ら議長を務めました。
その後もさまざまな立場になりながら紛争や貧困に困惑する人々に全力に支援をして尽されてました
晩年には、今最も話題になっているアフガニスタンの復興にご尽力を注ぎ、日本政府を巻き込みながらインフラ整備を整え、復興の指揮官として進捗状況を確認に訪れていました。
3,緒方貞子さんが残した名言とは・・・
・日本のあらゆる若い世代に『何でもみてやろう』『何
でもしてやろう』という姿勢を、意識的に持ってもらい
たいと思います
・忍耐と哲学をかければ物事は動いていく
・文化、宗教、信念が異なろうと、大切なのは苦しむ
人々の命を救うこと
自分の国だけの平和はありえない。世界はつながってい
るのだから。
・熱い心と冷たい頭を持て
・あいまいで不透明な問題などというものではない
あいまいで不透明と考えるのであれば、それを個々の課
題に落とし込み、課題ごとの方策を考えていくことが肝要。
・最後は理論ではない。一瞬のカンです。
4,緒方貞子さんの本の紹介
緒方貞子さんはたくさんの本を執筆されています
こちらの本は多忙のスケジュールの中、活動を記した本です
次々と難題が起こる中でどのように指揮をしたのか?
そしてどのように判断をしてきたのかを国際社会の現場を通して生き生きと伝えてます
共に生きるということ be humane (100年インタビュー)
- 作者: 緒方貞子
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2013/12/03
- メディア: 単行本
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この本は国連難民高等弁務官や国際協力機構理事長として人道支援や復興支援の現場で
前例のない難題を乗り越えてきた日々と貫いた信念を書き綴っており、平和を築くよう
にするために国際社会での日本の役割を語った本です
5,まとめ
緒方貞子さんの名前は、元首相の犬養毅からもらった名前であります
父は外交官であるため、様々な国に転勤なり、世界の情勢を学んだことになる
日本に戻ると、上皇后陛下の美智子様も入られた聖心女学院の英文科を卒業された。
そして、紛争や戦争や内戦で苦しんでいる人たちを助けるために国連に入り、国連難民高等弁務官も就任された。
そして、亡くなるまで恵まれない人たちの生活支援やインフラ整備のご尽力された方です。
見本となる方で尊敬しました
今回は、ニュースで話題になっていたこともあり、どのような方かなと疑問になり記事を書きました。
長い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。